ご存知の様に、2017年春期来日ツアーも無事終わり、先週メルボルンに帰ってきました。
今回のツアーはクラス数も移動距離もDLS史上一番だったので、多くの人達とお話する機会があり、今後のDLSでとり上げるトピックや、みんなの悩みなどを知ることが出来ました。
セミナ―をしていてもそこから私が学ぶことってたくさんあります。
毎年参加してくれる人がいたらその人の様子から、どこが分かりづらかったのか、新しい悩みは、今はどんな状況なのか?など
初めて参加の人であれば、DLSの何に惹かれたのか、セミナー中にどのような質問があったのか、セミナー後はどのような感じなのか?など。
そこからボディコンディショニングのBプロが生まれたり、キッズセミナ―を2日に増やしたり、などという次回のセミナーへの修正を入れていっています。
別に私じゃなくてもいい
人の数だけ悩みがあり、同じエクササイズやストレッチでは解決できないように、同じセミナーだけでは全員を上達させることはできないと思う。
そしてそれがDLSのゴールではないんですよ。
もちろん、より多くの人達に安全に踊り続けてほしいという気持ちは変わらないのですが、
私(DLS)でなくてもいい、っていうのも事実で。
これは東京で行われた教師のためのバレエ解剖学講座でお話した事です。
「別に玉ねぎが嫌いだからって野菜すべてが嫌いではないように、“私の”解剖学バレエが嫌いだからって“解剖学”が嫌いなわけではないはず。
同じ玉ねぎでも、料理の仕方によって味が変わるように、“解剖学講座”という形が好きでなくてもボディコンディショニングセミナーのように実際に動いて体に落としこむ方が好きな人もいるだろうし、オンラインコースで一目を気にせず勉強したい人もいるかもしれない。ディスカッションができるマスタークラスのような形が好きな人もいれば、同じ料理を何度も何度も食べてそのたびに違う調味料(参加者)がくるたびにニュアンスが変わることや、自分の舌が肥えてきたのを喜ぶ人もいるだろうし。」
ニューヨークタイムスのベストセラー「better than before」の著者Gretchen Rubinが、人間は習慣を作るときに4つのグループに分かれる、といっているように、
勉強する方法、習慣を作る方法(エクササイズやレッスンでの習慣ね)も人それぞれ。
みんなに共通している学ぶ&習う
ただし、どんな人でも、性格でも、勉強法や年齢が違っても言えることがあります。
自ら学ぶのか、それとも人に習うだけなのか?
これだけ毎年日本でセミナーをしているとその中での傾向を分析するだけで分かることだってあるんですよ(なんだか怖いねー)
例えば大人バレエトレーニーさん(大人でバレエレッスンを受けている方々をDLSではトレーニー「トレーニングする人」と呼んでいます)だって、キッズだって、もちろんプロだって!!
できると嬉しい!知ると嬉しい!
そういう気持ち。
基礎だって形だけ簡単なレッスンをしていたらつまらなくなってしまうけれど、
「このゆっくりのジュッテはこの後、地面から脚が離れるステップ、つまりアレグロの力を作っているンだよ」
と説明した後ではやはりやる気が違うわけです。
わかっているから努力ができるというのかな。
でも目的地が書いていない地図で、だたひたすら歩きまわっている事を遭難するというくらいだからさ、
目的地が分かると、たとえ回り道をしても、歩くスピードが遅くてもどこにいけばいいのか分かるので進んでいける(=上達するって事だよね)。
習うと学ぶ、とはいったい何?
習うー人から教わること、教えを受けること、繰り返す事で会得する
学ぶー知識や技芸を見につけること、学習すること、経験を通して知恵や知識を得る
という言葉が辞書には書いてあります。
私が考える成功している人達に共通するのは「学ぶ」という意識。
ただ習っている人は同じワークショップに参加していても会得できるもののレベルが違うと思う。
例えば今回出会った2人の年齢の近いダンサーたち。
同じような年齢グループ、ケガ、レベル、留学などとかなり似ているキーワードがあった二人ですが、
一人は「学ぶ」人でもう一人は「習う」人でした。
「学ぶ」子は同じエクササイズでも自分の癖やレッスンでの注意と頭の中で照らし合わせることが出来ていて、出てくる質問も
「レッスンで○○ができないといわれてきたのだけれど、それはエクササイズのXXが出来ていなかったからか?」
「自分は首が前に出ていると思っていたけれど、胸椎の場所を直すとそれも直るようになるのか?」
など、今までのレッスンで言われたことを覚えている、考えている、つまり毎回学んでいる子の質問でした。
キッズセミナ―のフィードバックシートにもそのような声が書いてありました。
自分が普段のレッスンでどこにいるのか?を見極める事が出来た上で、
足りない部分が「集中」だと気づいた。
怠けている、嘘をついている、という言葉があったけれど、それは本人が「今日は存分怠けてやるぞ!」と思ってレッスンに行っているわけがなく笑
気が付いたら100%ではなかった、という事がわかったのよね。そしてその原因は「集中力が欠ける」と。
これも学んできた人の言葉です(字もきれいだよねー)
「習う」事だけしかやっていないと、彼女からの質問も「教えて下さい」系になります。
「痛いのでどうしたらいいか教えて下さい」
「ターンアウトが出来ません。どうしたらいいでしょうか?」
これがブログ読者の方の質問であれば、この記事に書いてあります、と送る事が出来ますが、
この質問が痛みがなくなるように時間をかけて練習したエクササイズを教えたあと、だったり
ターンアウトについて2時間セミナーをやり、しかもその中でできないエクササイズがなかったのに書いてあったら、
正直どうしようか。
と思っちゃいます。
このまえやったエクササイズはやりましたか?
それがいっぺんにできるだけ体に入りましたか?
それが強く継続するだけ使えるようになりましたか?
その時にお話した一緒にやってほしいほかのエクササイズ達はどうしましたか?
って聞くことになる。
でもそれって自分で考えられるんじゃないかしら?
そして「痛いところでやらない」という大前提はどこにいっちゃったのでしょうか?
つまり、「私が言ってた事、聞いてたの?」になるわけ。
ターンアウトが出来ません、という質問だったら
セミナ―でやったエクササイズを毎日継続していなかったら今まで10年以上間違ってやってきたターンアウトの癖を取り、踊りの中で正しい筋肉が使えるだけがないんじゃないの?
セミナ―で誰かが見ている時だけにやるのではなく、毎日継続し続ける努力する気はあるの?
子供の場合「学ぶ」ことを学ぶ必要がある
キッズセミナ―では前回の反省もふまえ、2日にしました。
1日目と1週間後の2日目では同じことをやりました。
その時に、「考えて」というキーワードをたくさん投げかけました。
「上手な人は何が上手?」
「今できなかった理由はなんだろう?」
「ジュッテをやる意味は?」
「目線が落ちてしまう理由は?」
解剖学的に、というのはよくわからない解剖学用語をレッスン中にちりばめることではなくて、体を「解剖=ものとを細かく分析し、その因果関係などを明確にすること」。
つまり「上手な人」を見てどうして上手なのか?を考え体の使い方や、レッスンの受け方などを研究する。先生に言われたことに対してどのように反応しているのか?を考える。
それがもう少し年齢が上になっていったら「プロの舞台を見ながら」とか、「彼女の脚の上げ方」とか、「筋肉の名前」に育っていくと思うのね。
逆に習うレッスンだと、ターンアウトはおしりの筋肉を使います。と暗記。
おしりだから!!と全体をぎゅーっとしてしまう子ももちろん存在しますが、
それよりも「ターンアウト=お尻」と暗記して終わってしまう子達の多いこと。
そして出来ている気になってる。(そういうバレエ先生も多い!だから教師講座で凹んで帰る)
学校の勉強はそれでいいかもしれません。
ナクヨウグイス平安京、って覚えればいいだけかもしれない。
だけどそれじゃ舞台では使えない(というか世界では通用しないよ。こういう暗記勉強しているの日本の特徴ですから。)
大人の場合「習っている」自分に気を付けて
別に習う事が悪いのではないのよ。
習い事、って言葉があるように。ただ習い事レベルから職業レベルにするか否か?という部分はやはり違ってさ。
だから上達が見えなくてイライラしている人がいたら、レッスンの内容やコンクール、バリエーション、トウシューズとかに走る前に、
自分が「習っている」だけなのか?
それとも毎回「学ぶべき」ものがあって、ハングリーにレッスンに参加しているか?
を考える必要があるかもね。
そして自分が「習っている」段階で止まっていたかも、と気づいたら毎日のレッスンや日常生活でも練習してみましょうね。
これってさ、ケガしてても、疲れていても、いい先生のレッスンが受けられなくても!できる事なんですから。
やらなかったら勿体無いよ。
という事で、私自身もどういう子が上手になるのか?をまた一つ学んだツアーでした。
Happy Dancing!