愛さんのバレエ留学記 留学オーディション
2019年も残りわずか。 ということは私のバレエ学校生活も後少しで終わりを迎えます。 2004年1月、暑く乾いたメルボルンの学生寮で始まったバレエ学校時代からまる15年。 ケガと摂食障害に悩んだ、だけどたくさんの事を学んだ学生生活から、 頭から飛び込んだダンサー治療、 政府認定コースのカリキュラム作りとクラス指導からDLS始動… 記憶にある日本にいる時間より、海外にいる時間の方が長くなってしまった原因となったこのバレエ学校時代を記念して、埋没させている恐ろしい記憶を呼び起こし、皆様の前で若気の至りの連発をシェアしようと思います。 学ぶことがあるか?は別として、一人の人間の人生ってことで、年末のエンターテイメントかなんかにしてください。 ただ、愛さん留学記には私のカナダ2か所の短期留学(ひとつは2週間、もう一つはサマースクールだったので1か月)は書いてありません。 リクエストがあったら番外編として、いつか書いてみます。 バレエ学校の留学オーディションってどうやって探すのですか?という人も結構多いですが、 私は2003年、高校3年生の時にクララで発見しました。 今や、そのクララに1年連載を書いている身…その時期からバレエ界の情報収集は限られたところにしかなかったんだと分かりますね。 そうそう、私が高校生だった時はスマホ、SNSなんてない時代にいましたからバレエマガジンの裏とクララの裏くらいしか情報がなかったけど、今のオーディション情報はFBが一番早いみたいです。 この時は親を説得する必要はなかったと記憶しています。 だってオーディションは(確か…だよ)週末で受かるか、受からないかも分からなかったからね。 オーディションの場所は新宿村スタジオ。 「昔の」新宿村って言って分かる人達は昭和&平成生まれですね笑 今の新宿村スタジオはきれいになっているし、ウエストもあるもんね。 オーディション内容は、クリスティンによるクラシックバレエレッスン、ポワント(ローズバリエーション)、 そのあとは、リカルド・エラによるコンテ。 コンテ1曲踊ったので、クラス構成ではなかったと記憶しています。 それがすべて終わったら二対一の面接、そして受かった子達でグループチャットみたいなのがあったと思います。…