みなさん、このシリーズ飽きてませんか?
私は飽きてます笑
このシリーズ、書くのにかなりの労力が必要でした。
その時の気持ちにもどんなければいけないので、凹むし疲れるんです。
誰かの役に立っていたらよいんですが…今日で最終回です。イエーーイ!
(シリーズだと知らない人の為に。留学オーディション、留学準備、留学の現実、ケガと摂食障害、一時帰国)
2年生はかなーり早く進みます。
特記すべき事は、その時の担当教師の事が嫌いだったこと。
きっとバレエ学校によっては当たり前なんだと思うんだけど、クラスの中でお気に入りが1人か2人しかいなくて、それ以外の生徒は全く見てもらえなかった。
面白いほど無視 笑
1年一緒でも名前さえ憶えていないって感じでしたね。
振り付けも彼女の中に3パターンくらいあって、それ「しか」やらなかった。
今でこそyoutubeを見るとその振り付けで踊っているロシアバレエ学校の試験があるので、きっと「伝統」なんでしょう。
注意されない+同じ振り付け=何のためにレッスンやっているの?って感じ
- 1年生の時に学んだのは、知識は力だということ。
- 2年生で学んだのは、結局は自分次第ということ。
確かに彼女が担任の先生だったけれど、他の科目は違う先生だったし、リハーサルは校長先生が担当でした。
確かに彼女に見てもらえなかったかもしれないけど、他の子が言われている事を自分の注意のように聞くのは自分でも出来た。
何よりも、自分が踊りたいから踊る、って自発的な気持ちが大事だってわかった。
オーケストラと共に3公演したロミオとジュリエットではパリ・オペラ座の生徒がゲストで一緒に舞台に立ち、そこではソリストのジプシー役を3公演すべてやりました。
でもその時には、すでにバレエをやめるって気持ちで、放課後に次の学校のリサーチをしていたくらい。
この1年一番記憶に残っているのは、一緒に留学した日本人のもえちゃん。
彼女がソリストをやる予定だった卒業公演、2日前に捻挫。
その前にすでに捻挫をやっていて、お母さんも卒業公演を見に日本から来ていました。
第二スタジオで練習をしていた私たちに、バルメィ先生という校長の右腕の先生が走ってきてもえちゃんがケガして舞台に出られないという事を伝えられました。
でもメインスタジオでは既にリハは始まっている…
私が一応アンダースタディだったんだけど、同じ作品でソリストをやっていたので、振付は簡単にしか覚えておらず。
5分でもえちゃんセクションの振り付けを覚え、私の場所に私のアンダーが入り、アンダーの子のところにほかの子が入る、という全とっかえが起こり、
何も知らない校長の前でリハーサルをしました。
その時にね、もえちゃんが泣きながら「アイちゃん、ごめんね」と言い続けていたのを覚えています。
役が回ってきたことは嬉しくない、といったら嘘になる。
でもね、彼女の方が全然若くて、プロを目指していて、家族も見に来ている。
私はというと、バレエをやめるつもりだった。
申し訳ない気持ちなのはこっちでした。
一度目のケガでしっかりとリハビリしていたら、彼女は卒業公演をソリストとして踊りきった事でしょう。
この2年間、一緒に戦ってきた子達みんなのケガ、悩みは、今の私だったらサポート出来ます。
完全に治すことは出来ないかもしれないけど、このケガはこの人に見てもらった方がいい、とかこの場合はこの人とアポイントメントをとって、と言えます。
そのために自分のお金と時間をかけてネットワークを作ってきたから。
担当の先生に説明することも、彼女の為にリハビリプログラムを作ることも、必要であれば親に説明することも出来ます。
それがこの10年以上の経験です。
でもね、もえちゃんのサポートは出来なかった。
自分自身の留学生活を100%満喫も出来なかった。
せっかく旅費や学費を払ってくれた親に、プロとして舞台にたつ最初のチケットを送ることも出来なかった。
その後ずっと海外に住んでいるので、日本の学生時代の友達は殆どゼロで、何年も一緒にレッスンをしてきた仲間との連絡方法もない。
バレエなんて嫌い!海外なんて最悪!
校長先生はおろか、バレエ学校に戻るなんて考えられない!!
とならず、この世界に残っている事はある意味奇跡です。
(そしてこのシリーズを最後まで読んでくれたみたいに、応援してくれる人達がいるのも奇跡ですよねぇ…自分の失敗談しか話していないのに!)
このシリーズを書きながら毎回「もし、時間を巻き戻して昔に戻れるならば何をするかなー」って考えていました。
- 留学する前にしっかりとケガを直しておく。
- 体のケア、ケガについて、食事についての知識をつけておく。
- メンタルを強くして、本当の意味で自立する。
というDLSですでに伝え続けている事以外に、
- 自分が苦しんでいる事を周りの人に話す。
- 助けてほしい、と伝える。
という2つも大事だなって感じています。
このシリーズを書き始めてから、私もそうだった、という意見をもらっています。
周りから見たら強くて、何も問題がなさそうに見える人でも苦しんでいる。
解決しなくても、話す。
その時に愚痴をいうんじゃなくて、悲しい、苦しいっていう事を話す。
それ自体がストレス解消になるし、私は一人じゃないんだ、って思えることがどれだけ救いになったことか。
愚痴大会になってしまっては自分たちが腐るだけなんだけ。
バレエ学校でもその年によっては愚痴ばっかのグループがいるんだけど、結局その子達は上達しない。
ただ、大変だよねー、と会話するけどそれでもお互いを押し上げることが出来るグループは皆が上達する。
前回、バレエ留学をしても上達するわけではないって書いたじゃない?
world ballet dayを見ても、レッスン内容に世界的に大きな差があるわけではない。
(世界中どこ見てもみんなプリエするし、1から5番までの足やるし、レッスン構成はほぼ一緒でしょ?)
でもバレエ学校の良いところは、みんなが同じ目的に向かって頑張っているという雰囲気がある。
バレエスタジオでは試験の前にお休みしたり、同い年の子たちが辞めていってしまったり、「愛ちゃんは特別だよね」という感じで疎外されたりと一体感がないから。
だからこそ周りにいる人達って大事だけど、自分から何を発信するか?ってとても大事だと思う。
東大生が留学しているよ、というビデオを作ったことがあったじゃない?
なっちゃんはそれがとても上手だった。
ま、周りの子達よりも少しお姉さんだったというのもあるけれど、
何のために留学し、何を勉強したいか?のWHYがはっきりしていた。
勉強するのも、上達するのも、方法はいろいろとある。
私が留学していた時はなかったスマホとSNSのおかげで、その気になればどの国にいても勉強できる。
HOWはどこにでもある。
WHYは自分で探さないといけない。
2年留学していた時のクラスメイトひとり一人、一緒に時間を過ごした生徒一人一人。
この15年間学んだことを1記事ずつにしていったら、一生終わらないだけの物語になる事確実。
そして私が学んだ事を次の子達に渡すことで、バレエ留学が私の時よりも充実していたら嬉しいなって思う。
という事で、愛さんのバレエ留学記は今回で終わりですが、最後に小話をもう一つ。
卒業してから3,4年かな?バレエ団で研修するようになってからの話だけど、バレエ学校でこういうケガをしたんだよねという話をしていたんです。
その時は、どうしてケガしたのかわからなかったので仕方ないんですけどね、という事を言ったら、
一緒に話していた治療家が「いや、分かってたよ」と一言。
顔から血の気が引いたのを感じました。
彼曰く、その時ちゃんとバレエダンサーを診ている人に見てもらっていたら良かったのに、と。
同じメルボルンにいたのに、って。
でも私は、当時バレエ学校に来ていたフィジオに見てもらっていたんですよ。
彼女は、バレエ学校に「いた」けどバレエダンサーを専門にしているわけではなく、
ただビジネスとして学校にアプローチして、たまたまそこに来てただけの人だった。
悪い人だったわけでも、頭が悪い人だったわけでもないです。
ただ、専門が違う。
だからきっと、私は今でもバレエダンサーを診ます、と言いながらその部分を深く勉強していない治療家・トレーナーが苦手なんだと思う。
プロのスポーツ選手やチームが自分の治療家、トレーナーをツアーに持っていく理由がここ。
知っている人と極めている人ではレベルが違う。
小学校の先生がたくさんあるクラスの一部として算数を教えているのと、大学教授の数学は違うってわかるでしょ?
ただね、日本でそうやってバレエの、特にセミプロ・プロ一本でやっていきます!っていう人は珍しいと思うから、DLSを通じて情報提供になっていたら嬉しいです。
そうそう、先に言っておくけど私のセミナーが素晴らしい!では全然ありません。
だけど、リピート出来るシステムや、イベント、懇談会などで仲間を作ることが出来ていたら、
これに悩んでいるのが私一人じゃないんだなって思ってくれたら嬉しい。
冬期バレエ講習会でも、去年会った友達や、DLSキッズから一緒の子達が久しぶり!って集まっていました。
そうやって競争、点数ではなく、一緒に勉強する環境を作っていけたら、DLSやってきた意味、こうやって私の昔話をシェアする意味があったなぁって思うんだよね。
最後までお読みいただきありがとうございました。
これで愛さんのバレエ留学記、おしまいです。
Happy Dancing!