2003年9月某日、新宿村でわれらが校長先生と出会い、バレエ留学が決まった18歳の愛ちゃんの話。
そっちを読んでいない人は…うーん、べつに戻って読まなくてもいっか!
さて、バレエ留学というとヨーロッパかアメリカ。
私が留学を考え始めたときというのは高校生の時なので2001年あたりから。
ヨーロッパ、アメリカ、2001。
これで「あーー」って思う人はどれくらいいるかしら?
若い子達は知らないかなー
でもブログ読者の皆さんに若い子達はすごく少ないって聞いていますので、皆さんだったら分かるかな。
そう、アメリカ同時多発テロ事件があり海外旅行は怖いし、留学なんて!という感じがありました。
なので、オーストラリアという比較的離れている場所での留学だから両親から許してもらえたのではないか?と思うし、
オーストラリアだったからこそ、留学生活でセキュリティーやヘイトクライムなど考えずにのびのび生活できたのだと思います。
話を戻して。
9月に留学が決まり、1月下旬から南半球の新学期は始まる。
ということは、高校3年生の3学期はほとんど学校に出席できないということ。
嬉しいことに、学校側に相談したらすべての教科で1学期と2学期の点数を足し、3で割った時に赤点にならなければ、無事卒業出来る、と言われました。
いきなり!とはこのことね。
だって相談している時点で1,2学期はすでに終わっていますから「今からがんばろー!」じゃないのよ。
ま、勉強はまじめにやっていましたので、卒業式には出ませんでしたが高校卒業はしています。
他に私がラッキーだったな、と思うのは昔から英会話に通っていた事。
幼稚園で英語があった(どんな幼稚園だよ!)し、そのあともずっと英会話に通っていたので、
オーディションでの面接やクラスなど分からないことはありませんでした。
留学を前提に、高校でも英語クラスを3つくらいとっていたからね。
どの国に行こうが、バレエ留学するなら英語は必要だろうと準備をしてきたのはプラスになっています。
メルボルンについて2日目。
引率というかあっせん会社の人が「自分で学校にいってねー」っていなくなっちゃったので、
一人でトラム(路面電車)にのっていったこともない学校に行かなければいけなかったの。
その前にトラムOO番だからね、って言われていたのだけどさ、日本の電車と同じでナントカ線って分かっていても上り下りって重要じゃない?笑
見事に分からなくなって。
だからトラムにのっている人達に聞きまくり。
ただ、もらった地図はCBD(メルボルンシティ中心街)しかなく、学校はその外だったので、地図も役に立たず。
学校についたのは…英会話様々ですよ、ホント。
留学前に準備しておけばよかった事。
それはバレエ学校を卒業して、留学生を世話する立場になって初めて知りました。
- 体力をつけておくこと。
- ケガをしていたら完全に直しておくこと。
- 留学はスタートだということ。
慣れない交通、知らない人、真夏、そして壁の薄い学生寮。
これは思ったより体力を削られるんだってこと。
でも自分は感じないのよね。
だってアドレナリン出まくりだから。
特に、新しい生徒の時って誰でも「自分を証明しなきゃ!」という気持ちになっている。
- 体の声を聴く。
- 疲れていなくてもしっかりと休む。
- 積極的にリカバリーする。
これが出来ないと駄目だわ。
持たないよ、体。
バレエ留学の前にね、左の足の裏、デミポワントにしたら床にぶつかるところが痛いなーって思っていたの。
でも片足ルルベで長くバランスを取ると痛いだけで、ほかの動きは別に問題なかったし、
グランパドシャの着地で痛いのは、着地へタっぴだったのかな、って思ってたから、
何もしなかった。
まさか、このちっちゃいケガ、ケガとも言えないって思っていたやつ。
痛い動きがあるんだよねー程度のやつ。
こいつのせいでバレエ留学最初の1年はほぼ無駄になるとは、思わなかったよ。
そして、最後のポイント「留学はスタートである」。
これは2年かけて痛いほど(文字通り!)学びました。
留学生活を100%にするためにはその前の準備がどれほど大切かはスタッフとして働いてから成功する生徒とそうでない子達を見ている中で学びました。
日本にいる時に大事だと思っていた柔軟性とか、どれだけ回転できるかなんて関係なく、
先生に好かれるとか全く関係なく、
それよりは言われたことを次の日にこなすこと、自分で自分をプッシュすることの方が大事だった。
準備もしっかりとせず、ラッキーだけでここまで来ちゃった愛ちゃんが、留学生活でアップアップしていく様子はまた今度。
Happy Dancing!